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Shigeru Miyamoto on Gen AI

ゲームおよびインタラクティブメディアに対する思いが語られた、会見取材のようすをお届けします。

Hacker News 最新glimshe2026/10/24 · 13 天前30 分钟阅读

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マリオの生みの親で知られる宮本茂氏が、文化勲章の受章候補者に内定しました。 ゲームおよびインタラクティブメディアに対する思いが語られた、会見取材のようすをお届けします。

任天堂株式会社の取締役フェロー・宮本茂氏が、令和8年度文化勲章の受章候補者に内定したと発表されました。 それを受け、任天堂本社大会議室にて会見が開かれ、宮本氏が報道陣の質問に回答していきました。その様子をお届けします。

1952年11月16日生 京都府園部町(現、南丹市)出身 1977年に金沢美術工芸大学 工業デザイン専攻を卒業し、任天堂へ入社。情報開発本部長などを経て、2015 年に現在の代表取締役フェローに就任。 1981 年に世界で初めてデザイナーが手がけたゲームとして、業務用ゲーム機『ドンキーコング』を開発。ゲームデザイナーを名乗り、『スーパーマリオブラザーズ』『ゼルダの伝説』など、今日のビデオゲーム隆盛の礎となる任天堂を代表するソフトのほか、『星のカービィ』や『ポケットモンスター』をプロデュースし、近年は『Wii Fit』や『Wii Sports』『ピクミン』を制作。現在はテーマパークや映像など、世界中の人が任天堂のキャラクターや世界に触れる機会の創出に取り組んでいる。

【主要経歴】 1977年4月 任天堂株式会社 入社 2000年6月 取締役情報開発本部長就任 2002年5月 代表取締役専務就任 2015年9月 代表取締役フェロー就任(現在)

【個人賞(一部)】 1998年(米) The First Annual Interactive Achievement Awards『THE HALL OF FAME AWARD』 2006年(仏)芸術文化勲章『シュヴァリエ章』 2007年(米) The 7th Annual Game Developers Choice Awards『Lifetime Achievement』 2007年(日) 第12回 AMD Award『功労賞』 2008年(日)日本ゲーム大賞 2008『経済産業大臣賞』 2010年(日)平成21 年度[第13 回]文化庁メディア芸術祭『功労賞』 2010年(英) GAME British Academy Video Games Awards『Academy Fellowship』 2011年(日)平成 22 年度芸術選奨 文部科学大臣賞 メディアアート部門 2012年(西)アストゥリアス皇太子賞『コミュニケーションおよびヒューマニズム部門』 2019年(日)令和元年度文化功労者

科学技術や芸術など、日本の文化の発展や向上にめざましい功績を挙げた人に授与される日本の勲章。毎年おおむね5人程度(近年は7〜8人前後)が受章し、授与式は毎年11月3日(文化の日)に行われ、皇居で天皇陛下から直接親授される。

会見は、テレビおよび一般、地域新聞、ゲームメディア等の幅広い記者が囲み、ご挨拶ののち約1時間、記者からの挙手制の質問に回答するかたちで行われました。止まずに繰り広げられる質問に、言葉を選びながら丁寧に回答する宮本さん。 勲章授与に対する特別な思いというよりも、ゲームづくりへの真摯な取り組みへの思いと、楽しんで50年間続けてきたことと、その結果、ゲームが文化というより“当たり前のもの”になっていったことへの考えが語られました。

宮本: こんにちは。今日は京都までお越しいただいてありがとうございます。 こういうことになりまして、ものすごく照れくさい気持ちでいるんですけれども(笑)、名誉ある章に選んでいただいたことを本当に光栄に思っています。

いつもお話しするんですけど、ゲームって作家として一人で作っているものではないので、大勢の人たちと一緒に作ってきた結果なので、それを代表して受けるんですけども。ここのところゲームに限らず、ユニバーサルスタジオのテーマパークをやったり、映画を作ったり、いろんな他のジャンルの方ともたくさんの仕事をさせていただいてるので、皆さんとこの受章の喜びを分かち合いたいと思っています。

「ゼルダの伝説」シリーズが40周年とか「マリオ」が何周年だとか、いろいろやっているなかで、実は僕自身は「ゲームを作り始めて45年」とかいうふうに紹介をしているんですけど、任天堂に入社したのが1977年、その後すぐにゲームが流行り始めてその仕事にかかわるようになったので、そうすると実は50年じゃないかと。数えやすいので、今日は「ゲームを作り始めて50年です」とお話ししようかなと思ってまして。 で、まあその50年前には、かたちがあるかないか分からないメディア(ゲーム)とかかわるようになって、ここまでいっしょにそのなかで仕事をさせていただいて、黎明期からいたからこそのメリットでこういう扱いを受けているんだと思って、とてもラッキーな人選だったなと思います(笑)。

……しゃべりだすと、いつまでも適当にしゃべってしまうので、皆さんからの質問をお受けしながら話していきたいと思います。

Q 今回の受章は、社会におけるゲームの立ち位置が変化したということを象徴するような受章かと思います。現在におけるゲームと社会の関係性を宮本さんはどのように捉えているのでしょうか。 そして今後、社会のなかでゲームというものがどういうものになっていったらいいと思いますか?

宮本: 今日はいろんなメディアの方がおられるので、どの程度踏み込んでいいのか、迷いつつお話しするんですけども。 今おっしゃっていただいたような社会のというより、任天堂って僕の子供の頃には任天堂の盤上ゲーム……「家庭盤」という商品がありまして、ダイヤモンドゲームとか、ロケットゲームとか。それをお正月になるとこうみんなで出してきて遊ぶ、と。百人一首もそうですね。で、一年間タンスの上に積んであって、またお正月になると出してくる。 そういう、任天堂と生活のかかわり方って良いなって、昔から思っていたんですね。

で、ビデオゲームを作るようになっても、リビングの中心にずっとゲーム機があって、そこでみんながくつろいだり、日々暮らしていると。こういうものになるのがまたとても任天堂らしいなと思って作ってきたので、それを進めていくうえで、やっぱりゲームを遊ぶ人たちのために作るというだけではなくて、常にそうじゃない人たちのためにも、ゲームに興味を持たれるものを作ろうと取り組んできました。

だから、“リビングにあってもおかしくないもの”をずっと作り続けていこうというふうに進めてきたんです。それはとてもよかったなと。他との差別化も図れたし、自分にも合ってるなと思っています。

それが社会とのつながりとかなんだかという感じではなくて。 自分が26歳ぐらいからゲームを作り始めて、自分もプレイヤーで、その頃まだ周りの同年代はそんなにゲームを遊ぶ人たちじゃなかったのが、だんだんとお父さんがゲームを遊んで育った世代になり、気がつくと自分がおじいさんになって、おじいさんもゲームを遊んだ世代になる。

親子3世代がゲームのことを知ってるっていうのがものすごく大きいなと。それが、社会とのかかわりが深くなったということかなと。それを文化としてみようじゃないかとおっしゃっていただくのは、とてもありがたいなと思っています。 だからこれからも、ゲームというか新しいメディアに興味のない方にも使ってもらえるものを、リビングの中心にいつまでもあるものを作り続けていけたらと思っているので、これからも頑張ります。

Q 今回の受章につながった理由について、これまでの活動を振り返られてどのように捉えられていますか。その過程で、特に印象に残っている困難や転機についてもお聞かせください。

宮本: 難しいな……(笑)。 さっきもお話したように、一人でもたくさんの人に遊んでもらえるようなものにしようと。 ゲームキューブからWiiに移った時代がけっこう悩みの時代だったんですけども、ゲームを遊ぶ人もゲームとともにどんどん進化し、ゲーム機も高性能になり、プレイヤーもどんどんレベルが上がっていき、っていう時代がずっと積み重なっていくと、ふと立ち止まると、「ゲームをする人」と「ゲームしない人」って世の中に衝立が立てられてるなとちょっと感じた時期があるんですね。

そうじゃなくて、日常に溶け込んでいつでもゲームに触れてるのが理想じゃないかと思いましたし、そうすると今自分らがゲームをより面白くしようと思って作ってるコントローラーそのものが複雑で、初めて触る人にはもう近寄りがたいものになってるんじゃないかみたいなことから、WiiとかニンテンドーDSではすごいシンプルな形で置き換えようとしたんですね。

そういうことを何度か繰り返しているあいだに、さっき言ったとおり世代が3世代に渡ってきて、ゲームをするのは割と日常になって。これはスマートフォンとかモバイルが飛躍的に進んだことも大いに貢献していると思うんですけど。しかも、「ゲーム」って呼んではいるんですけど、ゲームを作ることだけに僕は集中してなくて、“インタラクティブ”というメディアが面白いなと思ってきたんですよ。

インタラクティブのメディアのなかで一番わかりやすいのがゲームなんです。 自分が何かをすると、相手が何かを返してくれる。そこで“試行錯誤を繰り返しているうちに、楽しい時間が経ってた”となれば理想かなと思って。

僕はもともと工業デザイナーなので、昔、デザインの「CAD」というソフトを使っていまして。CADとか3D CADとか、あれ最高のおもちゃやと思うんです。僕ちゃんと使いこなせてはいないんですけど(笑)。 コンピューターを使っていて、インタラクティブで、いろいろ試行錯誤しながら、気がついたらすごく時間が経っていた。僕の中ではこれも立派なゲームだと思っていまして。そういうものをもっと作っていけたらいいなってずっと目指してきたんですけど、やっぱり「それはゲームなのか?」っていう議論になるんですね。

だからゲームじゃなくても、“インテラクティブなメディアを使って日常の時間を忘れさせるような装置”であるということ、それからもうひとつは、快適に使えるかどうかをものすごく大事にしています。

たぶん世の中のいろんなコンピューター、インターフェースを設計してる人のなかで、ゲームぐらいそのインターフェースを真剣に作ってる人は実はいないと僕は思ってるんですね、ずっと。 ゲームを作りは、お客さんが分かりやすいか、思い通りに動かせるか、レスポンスはどうか、反応速度はどうか。どうしたら間違わないか、人間工学的にどう作っておけば間違わないか、っていうことを考えています。

皆さんふだんウェブで何か使っておられても、反応が悪かったり、「はい/いいえ」の質問があってほとんどの人が「はい」っていうのにデフォルトの位置が「いいえ」になっていてそこで間違うといった経験があると思います。 そういう細かいところに神経を使ったデザインができる人がゲームには必要で、だからうちは社内でもインターフェースデザイン部門っていうのを作るぐらい(笑)、そこを真剣に作っています。

そうすると、それを作っていた人たちは多分、ゲーム以外でもコンピューターのうえで仕事をしていたら、きっとそのノウハウはものすごく役に立つし、それが一番ゲームが進んでいると思っています。 今、モバイルでいろいろサービスがありますけど、いろんなサービスのなかでもとても使いやすいものを作っている。利益を一生懸命目指している、丁寧にお客さんがちゃんと使えるかどうかを目指して作っている会社としてのものづくりが、ちゃんとできていると思います。 トップダウンで、こういうものがあるべき・こういうものをつくれ、という指示によって出来上がったものって、だいたい使いづらいですよね……。

そういう意味では、ゲームぐらいお客さんにいちばん真剣に向き合ってきたものと同じぐらいいろんなコンピューターを使ったものの設計が出来上がっていけば、多分ゲームに限らずインタラクティブな世界っていうのは、まだまだ進化の可能性があるし、日本が作れるものが最高だと言えるチャンスがいっぱいあると思います。 僕、辞める人に言うんですけど「ゲーム業界を抜けても今やってきた仕事がいっぱい役に立つから」ってお願いをするんですけど、そういうことがこれからできていけば、何年後かにはゲームっていう評価じゃなくて、「コンピューターインタラクティブ」っていう文化としての評価にまでしていただけるようになったら、嬉しいなと思います。

Q 任天堂の作品とともに人生を歩んできた人たちが世界中にいます。そんな世界中の任天堂ファンに向けて、今後の展望などを含めたメッセージを頂戴できますか。

宮本: 映画を数年前から作るようになって、そのときにちょこちょこご説明はしてたんですけど、昔は僕は「映画は作らない」って強がっていたんです。それは、映画を作るためにお話を作ると、このキャラクターはこういう性格です、家族はこういう人がいます、といろんな設定をしていくんことになるんですね。 けど、僕らはゲームを作るためにキャラクターを作ってきたので、次にどんなゲームを作るか全くわからないのにいろんな設定をしてしまうと、不自由になると思いました。 なので、ゲームのために作ったキャラクターなので、ゲームでしか使いませんと言ってきたんですけど、こう長年やってくると、今、任天堂のファンとおっしゃってくださる皆さんがうちのキャラクターを愛してくださって、しかもマリオ、ゼルダ、カービィっていろんなキャラクターが作られてきましたし、ゲームを遊ばなくても、キャラクターが大好きっていうだけでも任天堂のファンになってもらえるなと思うようになったんですね。 それで、作るなら自分たちで作ろうということで、映画の制作を始めました。

それ以外にも、テーマパークを始めたり、ゲームだけに限らずゲームから生まれてきた任天堂のキャラクターをよりたくさんの人に見てもらえるような場をつくろうとしていますので、いろんなお付き合いをいただけるなと思います。

いま「ピクミン」とか頑張ってまして。『ピクミンブルーム』は任天堂も一緒に開発しているんですけど、提供しているのがええと、「Niantic」さんから「Scopely Explore」さんに名前が変わったんですけど。一緒にずっとやってまして。ああいうモバイルでも任天堂のキャラクターっていろいろ広がってくる可能性があるので、楽しみにしてください。

Q かつてゲームは社会問題として捉えられる時期があったものの、最近は政府がアニメなどとともにコンテンツ産業を基幹産業と位置づけるほどの存在になったかなと思います。文化勲章の受章者として、今後、日本のゲーム産業の発展に向けて、どのような活動や発信をしていきたいですか。

宮本: あまり具体的にイメージがあるわけではないですけども、コツコツ自分のやれることを続けていくだけかなとは思ってます。さっき言ったように、やっぱりゲームの貢献できることって、ユーザーインターフェース、使う人に一番真摯に対応しているメディアじゃないかなと思うんです。

こちらから何かを与える、お客さんに提供するというよりは、お客さんがそこでインタラクティブに使ううえで何か生まれてくるっていう。で、それが楽しい。そうすると、日用品もそうじゃないですか。使ってるうちに楽しくなってくる。 で、お客さんとどう接するかというところを丁寧にやってきたのが、日本のゲーム産業の強みだと思っています。

どの産業にどうかというより、デザイナー、システムエンジニア、インターフェースのデザイナー、そういうひとりひとりが、丁寧にできる人が育ってきたと思うんですね。なので、そういう人をちょっとでも増やせるようにしていくぐらいかなと思います。

もうひとつは、人と同じことをやるとなんでも競争になるので、人と違うことをやるんでってことは常に言ってるんですけども、そういう独自の姿勢で、使う人にちゃんと寄り添って、真剣にものづくりをするという人が一人でも育っていけばよいかなと思います。私も引き続きそれをやっていこうと思います。

宮本: 私、ここ(南区上鳥羽)からは40km離れている南丹市の園部町というところで生まれたんですけども。田舎者で、京都にも「出てくる」って言ういうくらい、京都のなかでも田舎なんです(笑)。で、大学は金沢に行き、デザインの仕事をしていますから、工業デザイナーならイタリアに行かなだめだろうとか、最新のデザインはニューヨークで覚えろとか、いろんなことを言われながらも、京都に出社して、京都でコツコツとものを作ってたんですね。

30歳過ぎたあたり、最先端の街にいないとデザイナーはもう枯れていく、みたいなことを言われたりする年齢のなかでも、あまり気にせずにずっとゲーム作りをしていました。日本よりも海外の売上の方がずっと多いということに気がついてはいたんですが、40歳に近づくと作ったものが妙にグローバルに評価されて。どうしてそういうものが作れるのかということを人に聞かれたり、自分で考えるようになりました。そのときに、「ああ、京都にいてよかったな」と。

いろんな意味で、何かと競争するんじゃなくて、自分たちの道具を持って、その土地でじっくりと物をつくる。 自分が作ってる物を相手にしているのは“人”なので、どの国の人かも都会の人かも関係なくて、人に対して何かを作って、そこで広がっていく何かをずっとコツコツと作り続ける。 ローカルにいて、一番ローカルなのは自分自身ですから、その超ローカルなところにずっと据わっていて、いろんな仕事をコツコツやっていくということができたことは、この京都というところがそんなに劣等感を感じずにいられました。「まあ、京都ですから」っていう顔でいける(笑)、それがラッキーやったと思うんですね。

園部もそうで。園部の自然のなかで自分が育ったことは、自分が作るいろんな判断をするなかで、過去の体験というのは全部そこに反映してきますから。子供の頃にのびのびと自然の中で育ったことが、自然にこう体現できていると、それが多分世界中の人に通じてるんだって思います。 国が違っても、やっぱり子供が物理的に物の刺激を受けたり考えたりするのって一緒なはずなんで、それがそのまま通じているということを感じた時に、ああ、田舎で育ってよかったなとか、ああ京都にずっといてよかったなって、歳とともに思うようになりました。 だから、園部の自然の何々をもとにこのゲームを作りましたという言い方もするんですけど、そういうことじゃなくて、やっぱり体に染みついたもの、山に登って滑って降りたとか、川に入って魚を手づかみするとか、溺れかけたとか。いろんな体に染みついたものが、自分のものづくりの原点になっているので、そういう意味では、園部に育ててもらいました。という言い方をしてます(笑)。

Q 任天堂さんのなかでクリエイターが育っていくなかで、「独創」という任天堂の考え方や宮本さんの発想というものをどのように受け継いでいらっしゃるか、あるいはどのように託していくと考えているのか、お聞かせください。

宮本: もう、日々の仕事の中でやり取りしていくことしかないので、コツコツとやってます。 ただまあ、任天堂もーーちょっと数字間違ってたからごめんなさいね、開発者だけでも3000人や4000人、全部入れると世界中で1万人ぐらいの人の規模になってきたので、なかなかその原点にあった「独創」とかいう精神を全部に行き渡すようなことが難しくなってきてるんですね。 だから、次のものを作るときに、作る過程で独創って何なのかということを議論したり、今もまた新しい人ーーいや僕が新しい人と思っていた人も結構年寄りになってきたので(笑)、もうちょっと中堅が集まって、そういうことを議論する場を作ろうとか、今コツコツとやっています。頑張ります。

Q 今は生成AIがどんどん発展して、作るということのハードルが下がってきています。同時に、じゃあ何がゲームデザインとして人間が才能を発揮できるのかということが問われていますけれども、そういった生成AIと文化としてのゲームというものを、どのようにお考えでしょうか。

宮本: ……大きな質問になるので、そうですね。 僕らの時代にコンピューターが出てきましたが、それまではタイプライターで文字を打っています。そのあとワードプロセッサーが出てきて……というふうに、どんどん道具は進化しました。

例えばデザイナーって、「レタリング」っていう文字をきれいに描く、ポスターの文字をきれいに書くことを学校で習うんですけど、そういうことができると、それだけでもうデザイナーって呼べたんですね。ほかにも、海外で流行ってるタイプ(文字)のデザインをなんとなく日本語にしてレイアウトすると、それをできる人をデザイナーと呼ぶとか。

ところが、コンピューターがどんどん進化して、ワープロソフトが進化して、文章もどこかからコピーしてくれるような、絵もどこかから持ってきてくれる、文字もきれいに書いてくれる。そういう技術、テクニックの部分がどんどん進化すると、そこで初めてレイアウトのセンスであるとか、そのひと個人のデザイン能力みたいなことが、初めて表に出てくるんです。

だから、ご主人がデザイナーで奥さんが家事をしてても、ご主人よりもデザイン能力は奥さんの方が上かもしれない。僕も(当てはまっているか)心配になることがあるんですけど(笑)、そういうことがどんどん起こっていったら道具で変わると。

まさにAIってそれで、僕らはいつも「ものを作る」っていうことと「作業する」ということを分けてて。 何かを作ろうと思うとまず大きな構成をしますよね。で、何かに向かってレイアウトしていく。で、そこから先は「作業」なんですよね。空いてる穴を埋めるとか、きれいに仕上げるとか。

これ厄介なことで、作業って楽しいんですよね。作るということの満足感ってあるじゃないですか。(報道陣に向けて)ライターさんも皆さんも。 けど怖いのは、作業に満足してしまって、いいものができたって勘違いしてくる。自分はこれが怖いんですよ。 だから、そういう意味ではAIがいろんな作業をしてくれるようになればなるほど、本当に「作る」ということは何なのかということを、みんなが真摯に考える機会になって、大いに良いなと感じています。

過去のデザインのなかにも、コピーだけで出てきたものもあったでしょうけど、それはやっぱりずっとは残らないですよね。やっぱり、(ずっと残るデザインに)何があるかというと、個人が何かをデザインしようと、意図を持ってやっている。で、その作業をコンピューターに手伝ってもらってるっていう構造になるので、これはどこまで進化しても、ーーまあ、そこのすべてをAIがやってくれるようになるかもわかんないですけど(笑)、今はまだまだ我々がやれることは残ってるなと思います。

Q かつてはリビングでテレビと接続をして子どもたちが遊んでいるというものだったのが、老若男女問わず、かつ余暇としてだけではなく健康であったり、人とのコミュニケーションのためであったり、いろんな目的でゲームを遊ぶ方が増えてきています。インタラクティブという観点で見たとき、今後ゲームと人とのかかわり方というのがどう変化していくと見ていらっしゃるか、どういうものを世に送り届けたいと思ってらっしゃるのかについてお聞かせください。

宮本: ニンテンドーDSを作っている時に、任天堂のハードってすごいなと自分で思ったんです。あれだけの機能のものをあの値段で提供できるんです。 それで一番に思ったのが、「これを学校の教材にするといい」というもので。“学校の授業に使う”というテーマで『ニンテンドーDS教室』になりました。先生がPCを持ってて、それにつながっているDSが各生徒の手元にあって、先生はそれぞれの子供が今答えをどう書いているかとか全部見られる、直接質問もできると。

それから例えば、美大の卒業展みたいなことをやるときに、お客さんにDSを持ってもらって、その作品の前に行けば自動的に音声ガイドと画像で作品の説明をしてくれるっていう仕組みを作りました。ブラウザ上で設計できるシステムを作って、提供する。 それがどんどん進化して、『ニンテンドー3DSガイド ルーヴル美術館』のガイドシステムになったんですけど。

(参考リンク) ▶︎ 社長が訊く『自分で作る ニンテンドーDS ガイド』より“DSのパブリックスペース利用”構想 ▶︎ 社長が訊く『ニンテンドー3DSガイド ルーヴル美術館』

そういうことをやってる頃から、やっぱりゲーム機とは言ってるけど、コンピューターとしては世界で一番安いコンピューターじゃないかと思うようになって、DSでいろんなことをやりたくて、いっぱい試してたんです。だからその頃には、半分はゲームを作ってるけど、半分はこれはゲームと呼んでいいのかっていうものを作り始めたんですね。

で、それがやっぱりスマートフォンがずっと進化したことで、一気に進んで。これは僕らにとっては悔しいことなんですけど、世の中全体にとっては、メディアの進化にとってものすごく大きかったなと思うんです。そうなったことで、「インタラクティブにコンピューターを使っているということ」を「ゲーム」と定義したら、もう今ほとんどのものがゲームじゃないか、と思いますし(笑)。(大枠としての)ゲームのなかの、目的のためだけに遊んでいるものをひとつのゲームと呼ぶっていうことでも、別にいいでしょうし。だから、そういうものが本当に境界線がなくなってきたと思います。

今はツールの発展でNintendo Switchを含めた高性能なゲームを、アマチュアレベルの人でも作れるようになってきました。 そういう人が作ったものを1時間楽しめたら、それがどんな楽しみ方であっても「それはゲームだ」って呼べるようになると、いろんな遊びが生まれてきますよね。それが今、荒削りなりにいろんなものが広がっていってると思うんです。

さっきもありましたけど、ゲームデザイナーではなくてもゲームが作れる時代。「ゲーム」の定義を広くすれば、もうみんなゲームが作れる時代になってきたと思います。で、そういうボーダーがなくなっていくのが理想やなと思っていたので、今とてもいい時代になったなと思います。

今後について……は、分からないです。 今、けっこう映画作りに夢中になってて、映画を作るプロの人たちとやってるわけですけども、やっぱり自分で作ったらどれぐらい作れるかっていうことを試したくなったり。それをやってるなかで、ひょっとしたらゲームのようなものをまた作ろうとするかもわからないです。 今のデジタルのメディアの進化で、いろんな仕事が大掛かりになってきた一方で、スピーディーにできるようになってきたところもあるので、意欲のあるあいだはいろんなことを試したいと思いますし、特に“独創”と言い続けているので、任天堂で普通にやってきたことじゃないことをやって社員を驚かそうかな、というぐらいに思ってます。

宮本: 僕はね、子供の頃から、自分が作ったものを誰かに見せて、おおって驚いてもらうのが楽しみやったんですね。だから、中学校の頃には漫画家になりたくって、その頃は漫画を描いて人に見せるっていうことをやっていました。

親が勝手に自分の部屋に入るので、勝手に入ると驚くような、お化け屋敷のような仕組みを作って、親がそれを怒るのが楽しいとか。 工業デザインをやるようになってからも、なんだか不思議なものがテーブルで動いてて、なんで動いてるのっていう、意味はよくわからないけどずっと動いてるんですよ、みたいなものを作りたかったんですよ。

ゲームを作り始めた頃、「あなたにとってライバルは?」だとかよく聞かれるじゃないですか。僕、「ルービック博士です」って言ってて。ルービックキューブって、工業デザインをやっている自分にとっては憧れの、傑作のデザインだと思うんですね。そういうものをやりたい、だから「最大のライバルであり目標はルービックキューブ」と。

そういうなかでゲームと出会ったことが、とても良かったし幸運でした。 ゲームセンターで、なぜお金を入れるかというと、射倖心じゃなくて、自分がやったことに対して悔しいからお金を入れるんですね。そのビジネスに使われているのが、ゲームだった。それに出会ったのは自分にとっては幸運で、それをどんどん広げていくうちに、そこでお金をもらうんじゃなくて、「なぜもう一回やりたいと思うのか」っていうことに純粋に興味が移り、そこにじゃあ、ただ遊んでても面白くないけどそこの世界に自分が入ってるような感じになってきたらどうなるのかっていう、箱庭ゲームのようなものが生まれた。 箱庭

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